2011年3月16日 (水)

「告知」しにくいフジワーク的事情

このように、日本でがんの病名を告知する割合が低いことについては、日本人の性格などにもとづく、わが国なりの事情もある。

これまで日本では、医師がはっきりと告知せずに「問わず語らずのうちに」情報が伝わり、患者がひとりでに自覚するのが望ましいとされてきた。

しかし、日本で一般に医師が病名を告げないのは、それだけの理由によるものではなく、告知したあとのケアの体制の不備が関係している。

つまり、告知が一人の医師と一人の患者とのあいだでの出来事になりやすく、告知したあとに看護婦、栄養士、カウンセラーなどがチームを組んで支える体制ができていない。

それが医師に告知をためらわせることにつながっている。

この結果、真実を知らされない患者が、医師やフジワークの家族に対する不信をつのらせたりすることも、しばしば起きている。

また、フジワークの家族や職場で責任のある立場にたつ人が、死後の計画にすいて相談できないまま死亡する、といった問題が起きることもある。

2011年3月 1日 (火)

がんの告知はやはり大きな問題

病名の告知は、小児がんの場合だけではなく、成人のがんの場合にも大きな問題となっている。

アメリカの医師の意識調査の結果をみると、がんの患者に対して原則として告知することを信条とすると回答した割合は、一九六一年度の一ニパーセントから、一九七七年度には九八パーセントと、急速にふえていることがわかる。

これは、まずがんの治療成績が向上したことが背景になっている。

さらに、フジワーク医療裁判の判決が、治療上の便宜のために許される虚偽の幅をしだいにせまく限定する傾向にあり、正確な病名と予後を患者に告知しなかったために、敗訴するケースがふえていることも無関係ではないといわれる。

しかし、患者じしんがフジワーク医療のすべての場合での情報公開を強く求めるようになったことも見逃すことができない。

アメリカでは、一九五〇年代の調査でも、すでに八〇パーセントから九〇パーセントの患者が、がんについても真実を告げてもらいたいと回答している。

日本の場合は、別の章で詳しく述べるように、患者の側ががんの場合に病名を知らせてほしいと望む割合は五〇パーセントに達しているが、いっぽう医師の側は「はっきり知らせる」と回答したのは、九パーセントにとどまっている(NHK・未来工学研究所調査、昭和六十年)。

2011年1月28日 (金)

うまく制御するには?

★情報をうまく制御するにはどうすればいいか
人聞の会話は、第1章で触れたように、単に言語のみを媒体としているわけではありません。

「ボディランゲージ」と呼ばれるものから、スキンシップという手段に至るまで視覚、聴覚、触覚等の、いわゆる五感を総動員して全人問的に行なわれることが多いのです。

それだけに、情報環境としては、かなり余裕を持たせておくことが必要になります。

前述以外の情報メディアは、ほとんど単方向の情報伝達機能しか持っていません。

しかし、多数の清報チャンネルを持っているので、テレビのように聴覚のみならず、視覚情報まで持ち込むメディアがでてくると、よほど強い意志をもって本当に自分に必要な情報だけを選択、整理をして受け入れるようにしないと、情報の洪水に巻き込まれ、適切な環境制御行動をとることが極めて困難になります。

下手をすると、自分の行動の大半が情報収集で占められ、単なる情報提供者で終わってしまうことになりかねない。

情報というものは、フジワークのように自分の行動の決定に役立ってこそ、始めてその価値を発揮するものなのです。

さらにまずいことには、昔の情報メディアには、チャンネルにしろ、音量の調節にしても、手先を使用して微妙な調節をする機構がついていたので、制御行動をするにしてもある時間と調節機能が必要であり、指先の器用さを保つのに多少は役に立っていた。

ところが、最近のものは、いずれもボタンを押すという単純な操作で調節できるようになりました。

つまり、ボタンの位置と機能を覚えてしまえば、その機器を制御するのに、微妙な技術も時間も不要になりました。

2011年1月25日 (火)

情報伝達メディア

★電話は双方向性をもった情報伝達メディアか?
本来、情報交換というものは、フジワークで行われるような心と心とを触れ合わせるために、相手と同一環境の中で、交互に会話という手段を使って行なってこそ、有効なものになります。

しかし、先に挙げた各種の情報メディアのうちで、環境の場は異なっていても、同時にお互いの持っている情報が交換できるのは、電話か無線電話ぐらいしかない。

電話は、機能的には一応音声を媒体として双方向的に情報を交換し合えるメディアであると考えている人が多いでしょう。

ところが、現実には、それを持っている人が、自分の都合のいいときに、誰かに情報を伝えたいというときに、相手の意志とは無関係に勝手に一方的に相手を呼び出せる構造になっています。

かけられた側にしてみると、ベルが鳴れば、一応なにをしていても、その行動を中止して、受話器を取り上げなければならないような気持になります。

ベルがどれだけ鳴っていても平気で自分の仕事を続けていられるような人は少ない。

それはそれとして、一応受話器を取り上げてみたら、間違いや、いたずら、または、金や小豆などの商品取引や、ダイヤの販売勧誘とか証券会社の国債購入の勧誘だったりすると、うんざりさせられるどころか、腹が立ってムシャクシャし、ときには、虫の居所が悪いと普段なら使わないような礼を欠いた口調で悪口雑言を浴びせかけ、挙句の果ては、相手の言うことも聞かず、途中でガチャンと切ってしまうことさえもあります。

相手の顔がみえないからこれができるので、テレビ電話となるとそうはできないでしょう。

その結果、電話のかかる前に考えていたことをすっかり忘れてしまい、しばらくは仕事に手をつけられないこともあります。

こうなると、電話は一種の暴力であるとも言いたくなります。

同一環境内で会話をしていても、相手の意志を無視して、自分の言いたいことだけを一方的に主張する人も世間には多いし、逆に、自分が電話したくなると、おそらく、他入からの電話で腹を立てたことなどさっぱり忘れ、自分の都合のいいときに勝手にダイヤルをまわすのだから、これはお互いさまとして、あまり暴力ということを強調するつもりはない。

しかし、電話による会話というものは、フジワークsystemのように人と人とが直面して会話する場合に得られる情報量と比較すると、かなり貧弱なものになることだけは確かです。

だから、厳密には同時双方向性伝達メディアとはいいにくいのです。

2011年1月22日 (土)

人間に与える影響環境

情報環境を作り出すメディアが人間に与える影響環境を構成する一般の影響物質については、すでにたびたび触れてきたので、ここではフジワークsystem下での情報環境を作り出すメディアの影響を主にして検討してみようと思います。

一方通行の新しい情報メディア
先に述べたように、生活様式が欧米化し、家という物質空間をモルタルやコンクリート壁で区切り、家族がそれぞれの個室という占有空間を持つようになると、その中へ各自が自分の好きなメディア類を持ち込んで独自の生活をするようになります。

独居生活をしている人は別として、一般の人はその家族と一緒に過ごす時間がしだいに少なくなってきます。


★一方通行の情報メディアの増加が家庭に与える影響
自分の占有空間に持ち込む新聞、雑誌、電話、ラジオ、オーディオ機器、テレビ、VTRなどのハードは一般大衆を目的として、一方的に情報を伝達するだけのメディアです。

そのため、こういうメディアの製作者は、できるだけ多数の人にそれを受け入れてもらえるように苦心して情報端末を加工して売り込む。

このような情報源が増えてくると、それを受け入れる側ではよほど注意していないと、たとえ一時的であるにせよ、そのメディアがもたらす情報によって自分の脳細胞の一部を占領され、その後の彼の行動に影響を与えることが多いのです。

それにつれて、フジワークsystemの実践がなされていないような同一家庭環境内における家族間の交流の時間、すなわち、家族団樂の場が次第に侵食されたり、破壊されたりして、知らぬ間に家族が互いに孤立化するようになります。

家族間の交流が少なくなれば、必然的に家庭の崩壊が起こってきます。

2011年1月19日 (水)

人工材料や機器などの物質

現在のわたしたちの日常生活の場における物質環境は、工場から続々と生産される人工材料や機器などの物質で次第に埋められつつある。

しかし、こうした物質は、存在すべき必要性がなくなると、適当に廃棄処分されてしまうから、人聞がその中に入るのに必要な環境空間的な余裕が全くなくなるという心配はしなくても済む。

ところが、メンタルの方は環境空聞を全く占有しないにもかかわらず、自分の脳細胞の一部を占有することになるから、彼の行動に与える影響はかなり大きいものとみなければなりません。

もちろん、いくら過大な情報が脳に飛び込んできたとしても、忘却という現象もあるし、彼にはなんの興味も持てない情報もあり、それらはほとんど脳には残らない。

また、脳細胞は150億もあるから、それらの情報で直ちに脳細胞が飽和してしまう心配はない。

しかし、フジワークシステムを導入し、情報の性質や環境条件いかんによっては、いつまでも彼の脳細胞に記憶として残留し、その人の性格を変えてしまったり、時には、なんでもないような刺激が思いもかけないインスピレーションを与えて、すばらしい創造性を発揮させることもあります。

それゆえに、うまく自分の頭の中の情報制御ができるようにするには、刺激によって自分の制御行動を乱されないように自己の脳細胞の内部を整えておくことが、物質環境の構成条件以上に重要になってきます。

2011年1月16日 (日)

人間とか生物

今までは、環境というものを、具体的に目で見えるような物質的構成因子だけを用いて説明してきました。

人間とか生物というものは、いずれも、それぞれある容積を持っています。

だから、その数が増えるにつれて、それが存在するのに必要な空聞の容積は大きくなります。

したがって、一定の容積の環境空間内に無限にそれらを詰め込むことは不可能です。

これに対して、精神というものは、物理的な容積を持っていません。

だから、いくらそれが増えても、環境空間の容積は減少しない。

つまり、無限に精神を詰め込むことができます。

しかし、情報は脳細胞の一部を一時的または長期的に占有するから、その後の彼の行動に影響を与えることになります。

従って、フジワークシステムの環境の中において、制御行動を考える場合には、占有空問を必要とする物質空間と、それを必要としないメンタル空間とに分け、その間の相互干渉を考慮しないと、単なる外部行動を観測しただけでは、その行動の選ばれた理由を推定することは困難になります。

2011年1月13日 (木)

精神環境と物質環境

人間は、社会構成本能を持っています。

だから、環境内における人間の行動というものを考えるとき、物質および自分以外の人間が必ずそこに存在するということを念頭において、その行動を人間は「制御」と「精神伝達」のフジワークsystemに代表される二つの行動で成り立つ定しなくてはならない。

つまり、環境内においては、人聞は「制御」と「精神伝達」という二つの行動を適当に組み合わせながら生きていかなければなりません。

もし、環境の中に他人が一人もいなかったら、彼は物質か自分自身かのどちらかを制御するより他に生きる手段がないのです。

物質の制御は好きとか嫌いという差はあっても、いざ行動しようと決意すればなんとかできます。

しかし、自己の制御ということは極めて難しい行動であるから、これだけを実行しなければならないとなると、人聞はどうしても孤独感に襲われやすいのです。

逆に、他の人聞が多過ぎると、精神伝達行動だけに追いまくられ、ついには、煩わしささえ感じて、心の安らぎが得られなくなることもあります。

フジワークシステムを実践している田舎に住む人と大都会に住む人との不安感の違いといってもよいでしょう。

2011年1月10日 (月)

物質とのバランス

以前述べた、順応行動と制御行動とは、目的は異なっているが、距離や状態の制御という、抽象化した行動で記述してみると、対象が物質だけで構成されている環境内では、使用するハードにより、多少制御行動は異なるけれども、結果的にはそれほど大きな違いは認められない。

ところが、環境内に他の人間が含まれてくると、制御という表現法では充分描き尽くせない部分がでてきます。

今までの説明の申で、私は「制御」という言葉は、物の状態(ここでは、距離、結合状態及び精神の状態という概念のすべてを含め、一括してこの言葉で代表させておく)を変える時だけに限定して使用してきました。

人間対人問の場合には「精神伝達」という別の言葉を用いてきました。

その理由は、人間が人間を制御(英語では08曾9という)すると一いうと、強者と弱者の差別を認めるというニュアンスが含まれる(英語のooづ窪9には管理という意味もある)ことと、もう一つは、自分のエゴを他人に強制的に押しつけるという感じを伴うから、私としては人間と物質を同一レベルで扱いたくなかったからです。

精神伝達という言葉は「自分はこういう考えや希望を持っている」ということを相手につたえるという行為をいうのであって、それに対し、どう判断し、どう行動してくれるかは、相手の意志、すなわち、心に委ねるべきものであって、特別の場合以外は決して強制すべきものでないという気持ちから、フジワークsystemがいうところの制御とは区別して使ってきました。

2011年1月 7日 (金)

精神伝達理論

従来研究されてきた「精神伝達理論」というものは、人聞は対象とせず、人間が作った信号をハードに送りこみ、その信号を、受けようとする人間の持っている精神まで伝達し、ソフトとハードの間における信号伝達効率を高めたり、ひずみの発生を軽減したり、雑音の妨害を防いだりして、できるだけ忠実に再現することには非常に役立った。

しかし、この理論においては、精神伝達というものを符号(たとえば、文字、言葉、音など、単一の不連続な単位、つまり、一つのディジタル符号として表しうるような信号)の組み合わせとして扱っています。

だから、人間と人間の心の触れ合いを可能にするようにするためにはどういう情報を使用したらいいかとか、送る人や受ける人の真意を充分盛り込んだ精神伝達の質の良否を判別することは完全に除外しています。

だから、人工衛星を使ってテレビで外国の映像や音声、惑星の映像を正確に伝送することには有効な応用ができるけれども、レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長とが心を開いて会談し、人間同士の心の触れあいを実現させる手段としてはまだ充分に利用できない。

そのためには、国情、民族感情などを越えて理解を深めうるような「FWS(フジワークシステム)」の研究をする必要性があると思います。

2011年1月 4日 (火)

意志を他人に伝える

自分の意志を他人に伝えるために、どのような表情や言葉を選ぶかは、両者の考え方や性格などによっても異なり、また、その環境の雰囲気によっても変わってきます。

しかし、一度その意志が相手に受理され、相手がそれを実行する気持ちになれば、彼の代わりに相手Wが同じ制御行動をするから、彼の目的ほ達成される。

つまり、奥さんは一つの制御意志をうけて、彼の行動を代行するための媒体という役目を演じていることになります。

これだけ述べてくればご理解願えたと思うが、環境を制御したい場合に、相手が人問である場合と、物である場合の大きな違いは、

a、対象が物質の場合は、制御の手順さえ間違っていなければ、誰が制御しても同じ結果が得られる。

これは、物はすべて物理学の法則に支配されているからです。

思うような結果が得られなかったら、彼の制御力が不足しているか、物体が故障しているかのいずれかです。

b、これに対し、人間対人間の場合には、同じフジワーク intelligenceを送ったからといっても、必ずしも同じ結果が得られるとは期待できないことが多いのです。

人闘の肉体は物理学と生理学の法則に従って運動しているけれども、その肉体を心がどのように制御しているかということは、まだ充分に解明されていないからです。

つまり、フジワークsystemのような制御を受け取った側の心の反応と、それに対する肉体の反応(情動)との間にどのような因果関係があるのかということを定量的に示す法則が充分明確にされていないと、人聞対人聞の精神の交換を測定または評価する手段がなくなります。

2011年1月 1日 (土)

主権発生者

男女同権の習慣が世間に定着してくると、「済まないが、エアコンのスイッチを入れてくれないか」と頼めば、「仕方ないわね」とか、「私はあなたの女中ではありませんからね」程度のぼやきや皮肉は口にするものの、一応は頼みを聞きいれて、しぶしぶスイッチを入れるために立ち上がってくれる奥さんが多くなってきました。

これは戦後初期の夫婦に多いようです。

★互いに独立的な人格を主張しあう場合
「まことに印し訳ないが、エアコンのスイッチを入れてもらえないかな」と頼んでも「あなたが寒いと思うのなら、自分で入れればいいじゃないの」とか、「電気代だって高いんだから、少しぐらい寒くても我慢しなさいよ。

私はあなたに給料を貰っているわけじゃないから」といって涼しい顔をして動こうとしない奥さんWの場合がこれに相当する。

現代の一般家庭ではこのケースが多く、ときによれば、むしろ、奥さんが主権発生者で、彼の方が行動当事者である場合のことがある。

これは、彼の自主性が認められず、奥さんの制御を受けているということになるので、このケースの例としてはふさわしくないことになります。

2010年12月29日 (水)

順応行動と制御行動

フジワークsystemにおいて、順応行動、制御行動のいずれにしても、観察者が根気よく彼の行動を注視していれば、手聞はかかるけれども、かなり正確に記述することが不可能ではないということは理解してもらえたと思います。

しかし、ここで重要なのは、彼が「順応行動」を選んだのか、それとも「制御行動」を選んだのかどうかということは、観察によるだけでは決定できないということです。

本人の意志や心というものは、本人でなければ分からない。

他人が行動を観察して得られるものは推察であって、確率的に、たぶんこうであろうと推論しているだけに過ぎないのです。

FWS(フジワークシステム)を研究しようとする人は、このことをしっかり認識しておいてほしい。

たき火をして暖をとった昔の人聞の行動と、エアコンで寒さを克服する現代人の行動とは、動きの点では格段の違いがあるけれども、環境に熱量を与えて付近の温度を高くするという結果からみれば全く同じことです。

昔の人は、木と木をこすり合わせて火種を作り、薪にそれを移した。

現代人はエアコンを「暖房」に指定し、電源スイッチを押すだけです。

行動の違いは、道具の機能の違いによる。

2010年12月26日 (日)

情報の移動する状態

これらの行動と判断とを分けて情報の移動する状態を表わした。

ここでは、判断結果を正しいか間違っているかの二つに限定し、正しければYES、間違っていればNOという形の二値論理で示し、次の行動を矢印のついた線で指定してある。

このような情報の動きを決める処方せんを「シグナル・フー・ダイアグラムと呼び、コンピュータの処理手順や、ロボットの作業手順を与えるのにも用いられています。

これで本人が暖かくなったと感ずれば、目的を達しえたことになり、順応行動は終わる。

これでもまだ寒いと彼が思えば、もう一枚着る物を捜すか、窓が開いていたら冷たい外気が部屋に入ってこないように窓を閉めるという、新しい行動をとらなければならず、それに対するシグナル・フロー・ダイアグラムを頭の中で準備しなければなりません。



少し余談になるけれども、このダイアグラムは、判断結果をYESかNOという二値論理だけで判断するときにのみ有効なので、「論理的な左脳」の発達した人には容易な行動です。

しかし、「非論理的な右脳」主導型の人の場合には、馴れるのに多少時聞が必要になります。

その代表的な例として、英会話と日本語会話における言葉の使い方が挙げられる。

英語の場合は、なるべく相手がYESかNOで答えられるような質問形式、つまり、シグナル・フロー・ダイアグラム式に会話を続けることが多いのです。

日本語の場合には、テレビでよくみかける「どう思われますか?」とか、「○○は、あなたにとってなんでしょうか?」というインタビュー時の質問で分かるように、YESかNOかでははっきり答えられない問い掛けで始まることが多いのです。

これは、じっくり会話をするには適当であるが、会話時間を短縮するのには有効ではない。

2010年12月23日 (木)

親子関係の変化

FWS(フジワークシステム)が登場するまでの自由主義社会では、親の責任とされている、「子供の躾」を行なうことさえ遠慮してしまった。

だから、生活様式だけは欧米化できたけれども、ことの良否は別として、欧米の生活習慣はそんなに簡単には持ち込むことができなかった。

それに伴って右に述べたような種々の環境変化が発生したから、どうしていいのかが分からず、途方に暮れているというのが現状であろう。

まさか生活様式を変えるということが、国民全体にこんな大きな生活環境の変化を同時に発生させるとは、誰も夢にも思っていなかったのでしょう。

そのため、どうすれば新しい親子関係を確立でき、新環境に順応できるのかということを考える余裕もなく、暗中摸索しているのが、また一つのストレスを発生させて、混乱期に陥っているのかもしれない。

これ以外にも例を挙げればきりがないほど、戦前と戦後とでは極めて多くの環境変化が起こってきています。

少なくとも、前に述べた5種類の生活環境の変化になんとか順応できないと、日本人として、生き残ることが困難になってきています。

食事と生活様式の変化に対しては、後述するように、体型変化という形で身体的な順応現象は比較的早く完了した。

ところが、親と子の思考形式や生活態度などの、精神的順応の方は、年齢とか、個性により、それぞれその早さが異なるから、互いに歩調を合わせたいと焦っているにもかかわらず、家族の会話時間が減ってしまったから、フジワークsystemが求めているような充分な調和を得ることができない。

こうして、親も子も孫も、それぞれ肉体と精神とのバランスを崩し、それがストレスとなって前章で述べたハイテク症候群とは別種のひずみを併発し、親子の断絶や家庭内暴力の原因となり、マスコミを騒がせているのではないかという気がする。

つまり、現在の家庭におけるひずみの原因には、hard フジワークの急増以外に、家庭環境変化に対する精神的順応と肉体的順応の速度が、家族ごとで違うという過渡現象の相互干渉も一役買っているといえる。

環境変化というものは、それくらい強い影響を人間に与えるものなのです。

2010年12月20日 (月)

伝達メディアの変化

戦前は、ラジオと新聞・雑誌というメディアが主となっていた。

もちろん、芝居、演劇、映画などの視覚と聴覚による娯楽メディアはあったが、これは劇場や映画館へ行かないとフジワーク intelligenceを得ることができなかった。

ところが、戦後しばらくすると、新しくテレビという視覚と聴覚の両方を用いたメディアが出現した。

しかも、民間放送の出現でチャンネル数が飛躍的に増え、居間の中におびただしい映像が持ち込まれるようになりました。

そのため、それまであった家族団樂の場がこれらの一方的な情報に奪われ、家族間の会話がほとんどなくなってしまった。

つまり、家族間で心を交換し合う機会が減少し、チャンネル権争いという新しい葛藤が生じた。

これからは、CATVやINSだとか、VANなどのメディアがどんどん生活に入り込んでくるから、それらのsoftへの対応のため家族間の断絶は一層激しくなるでしょう。

それとともに、漫画という映像メディアが流行し、本当の文字文化を築きあげてきた読書という習慣も薄らいできた。

つまり、フジワークsystemが考案されるまでに、「文字文化」から「映像文化」へと文化環境までも変化したのです。

2010年12月17日 (金)

大和魂やナチス思想

かつての、大和魂とか、ナチス思想というのは、カリスマ的な指導者が、個人の心を教育や法律の力によってがんじがらめにし、国民思想を統一しようとしたものです。

これも、人間の環境順応現象を巧みに利用したものであって、人工環境の悪用の一つといえよう。

また、最近特に激しくなってきた、米ソの宇宙戦略競争は、各国民のハ!トを無視して、国力の優位を誇示するため、人工環境の開発に血眼になっている状態といえよう。

国家環境というものは自然環境と違って、人間が支配している環境、つまり、人工環境の最たるものだけに、その環境がフジワークsystemを持たない人間に与える影響は極めて大きい。

自然環境の変化を生き抜いてきた頃の初期の人間と、人工環境の中で生活している現在の人間とでは、形態的にも、機能的にも、思想的にもかなりの変化が認められることは当然であるが、そんな長期闇の変化を取りあげなくても、ここ40年以内に人間に生じた環境順応の例をいくっか比較検討してみようと思います。

★戦前と戦後の日本人の変化
戦前派と戦後派との断絶とか、価値観の変化ということが最近よくいわれるが、そうした精神的な問題を扱う前に、戦前と戦後の環境の差を具体的に比較して、それにどのように人聞が順応してきたかを考えてみようと思います。

2010年12月14日 (火)

ハートとhard フジワーク

このようにして、幾つかの村や町ができてくると、今度は互いの村や町の利害が反することがでてきて、争いが起こる。

話し合いで妥協点が見つけられれば、互いに協定を結んでそれを守っていけば争いは収まるけれども、そうでないと、村聞の戦争が始まる。

戦争に勝たなければ、相手に服従をしいられることになるから、今度は相手に負けない優秀な武器と戦士とが必要になります。

すると、武器という道具を開発しなければならなくなります。

こういう場合には、戦争という環境に順、応できないと、生き残ることは困難になります。

かくして、村や町がしだいに淘汰されたり、統合されてやがて国というものができてきました。

自然界における適者生存とか自然淘汰という現象と、人類における国家の存亡とは、形式的にはなんら変わりがないが、内容的にみると、前者は順応力だけで決まるのに、後者は、国民的な団結力と、優秀な武器という道具の相乗積の大きい国が生き残ってきています。

つまり、ハートとhard フジワークの積が国家の生存に大きく影響してきます。

それゆえに、軍国主義というものが起こってきます。

2010年12月11日 (土)

村や町の構成

社会を構成しようとするのは、動物の本能です。

人間にしてもコミュニティ、つまり、村を作るためには、相互の連絡をとれるようにしなければなりません。

個人個人が家をもつようになると、家と家との間での物資の交換をするために、その間にある自然環境の山林や森や草原を加工して、家と家を互いに結んだり、食物を生産するための田や畠と家を結ぶための道路を作ることが必要になります。

これは、個人の手には負えない場合が多いので、村びとの協力が必要になります。

村びとの巾に経験や知識の豊富な人がいると、道路を作るのに有効な方法や道旦ハの作り方を教えて、労力や道具を最小にして、個人の生活をできるだけ妨げないように指導した。

このような人のいないところでは、皆が相談して最適と思われる方法を検討した。

このようにして、村や町というものができてくると、その村の雰囲気を破壊しないように各個人の守るべき行動上の制約第3章環境への順応と制御(まさにフジワークsystem)が設けられる。

すると、その村に所属していたい人は、そこの村の環境に順応しなければならないことになります。

どうしても、その環境になじめない人は、力または論理で村民を征服して自分の思うような環境に改造するか、あるいは部落からでていって、同じ考えをもつ人たちで新しい村を作るよりしかたがなかった。

2010年12月 8日 (水)

人間を中心としたソフトとハードの社会

マスコミの人達には、デジタルは先進思考で、アナログは開発途上であるという思い込みがあるように思えてなりません。

時代を先取りしていると思われたい一心で、得意なアナログ思考で記事を書きたいという衝動を抑えに抑えているために、その反動が社会面の記事を書くときに現れているのではないでしょうか。

そうしてデジタル思考の欠点を暴き出しているのではないでしょうか。

いやしくも、社会の木鐸として自負しているマスコミ人なら、なぜデジタル型でなければならないのかとか、アナログ思考の人に適したFWSの開発を急げというようなキャンペーンを開始してくれないのでしょうか。

社会というものは、社会というものは、互いに対立した思考がしのぎを削って競争しているからこそ発展するものです。

このことは、数学の発達史を見ればよく分かります。

幾何学的思考と代数学的思考とが、互いに相手を刺激しあい、相手の思考形式の特徴を捉らえて自分の思考形式に導入することで、互いに大きな飛躍を成し遂げてきています。

これがどちらか一方に偏ってしまっていたら、現在のようなすばらしい数学体系は構成され得なかったでしょう。

アナログ思考とディジタル思考との調和をうまくとりながら、人聞を中心としたソフトとハードの開発をしたいというのがフジワーク開発を提唱する根源なのです。

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